第3回塩竈ジュニア俳句コンクール高校生の部 選後評

今回も多くのご応募をいただきありがとうございました。入賞の作品はもちろん、入賞しなかった作品も選者の胸に響く佳句がありました。厳正かつ視野が狭くならない選となるよう努力したつもりですが、特に上位の作品については選者が異なれば多少の評価の違いはあるかもしれません。結果に一喜一憂するというより、作句の糧として頂ければ幸いです。

一層の発展のために、⑴初心の方、また指導の先生方に気にかけていただきたいこと、⑵更なるレベルアップを図ろうとされている生徒の方に気にかけていただきたいことをそれぞれ記してみました。⑶最後に上位入賞作品について短評を記します。

⑴ 初心の方、指導される先生方に

表記について

 前回も短評で注意喚起しているのですが、俳句作品での三行の分かち書き、一字明け表記は、視覚的な効果を狙った意図的な技法として試みられる場合を除き、一般的ではありません。句碑などで二行、三行に跨るのは、揮毫のデザインの問題です。

クリスマス
光の街で
心浮く

のような三行にまたがる表記や、

頼むから   来ないでおくれ   大寒波

のような「5・7・5」での字空けはなるべく避けてください。また、ルビはよほど特殊な読み方をするものでなければ不要です。

内容や表現について

短い詩形ゆえに、その作品で自分が芯から詠みたいものは何なのか、じっくり腰を据えて考えることができるのが俳句のいいところです。毎年、「雪がつもって白銀の世界になった」「お年玉の額が増えた/減った・もらえなくなった・使い過ぎた」「冬休みは期間が短い割に宿題が多い」という句が多く見られます。皆同じような場面を同じように詠むので、

お年玉いつか自分もあげる側
冬の朝あたり一面銀世界冬の朝窓を開けたら雪景色

など、昨年も今年もまったく同じ作例がありました。雪の朝を「銀世界」と言いたいのはわかりますが、使い古された言葉ではなく、新しい表現や比喩を考えるのが創作の醍醐味です。

ほかの人と同じような俳句を作ってしまうことを避けるために、次のようなことを念頭においてほしいと思います。

◎俳句は標語ではない。俳句は詩である。

 575のリズムで内容的にみるべきものがあっても、詩情がなければ俳句としては評価しづらいです。

頑張れと仲間の一言羽ばたける

この句は、標語として体育館に貼ってあったら素晴らしいと思いますが、俳句は標語ではありません。行動や判断の基準、理念などをスローガン的に表現するのではなく、自分の心(感覚や気分)を季節に載せるのが俳句の基本です。その時々の心の動きの源泉、詩情の源泉を大切にしてほしいと思います。

◎既存の決まり文句でまとめない。オンリーワンの要素を。

 詩歌は自分の心を種に言葉として生み出すもの。心の動きが生命線です。言い換えれば、出来合いの感情表現をそのまま打ち出しても、詩としてつまらないものが出来上がってきます。たとえば、恋を詠った句は多かったのですが、「君を想って」「私の思いが……」「君の視線が……」「LINEを送れない」といった応募作品が頻出しました。しかし、Jポップで歌われる恋愛もだいたいそんなもので、「君」と出た時点でその辺の切なさは伝わります。みんなが思っていることはあえて言わなくてもわかるので、さらに感情を述べると恋愛という概念の説明になりがちです。奥底の思いを物に託して表現してほしいと思います。もし恋を俳句にするなら、「あるある」の恋慕をダメ押しするより、自分が発見したユニークでオンリーワンの一コマを見せてほしいと思います。

◎底の浅い笑いや、童謡のパクリはつまらない。

「猫と炬燵で丸くなる」「冬は炬燵で丸くなる」「雪道で転んで……」、童謡で言われているようなフレーズや、理屈っぽい笑いは俳句的には受けません。もちろん一目見てふっと笑顔になれるようなユーモアがある句なら、とても魅力的です。ただし、笑わせてやろうという作為が先にあるのではなく、大真面目に作った結果面白くなる、というものだと最初のうちは思っていただいた方が、間違いないと思います。

⑵ 更にレベルアップを図りたい生徒の方に

 以下は、一定のレベルに達している作品について、入賞はしているけれどももっと良くなりそうな作品や、惜しくも入賞に至らなかった作品を例に、意識していただきたいことを記します。

◎季語の説明や、いろいろな季語に合うフレーズは避ける。

 季語の意味に含まれている感情や事柄を、なぞって言ってしまっているような作品が見られます。

自販機にHOTの多く冬の朝   
冬の夜心に穴が空いたよう    

 どちらの作品もコンクールの応募作品内では一定のレベルに達しています。しかし一句め「冬の朝」には夜の寒さを残した朝が連想として含まれており、「自販機にHOTの多く」はホットドリンクの恋しい冬の朝の情景の解説に終わっているようです。歳時記によっては「ホットドリンクス」が冬季に載っている場合も。まず「多く」を一考していただくと、この句はぐんと良くなるように思います。

二句め、「冬の夜」のひっそりした感じが心象の表現と合っていますが、では「秋の夜」「春の夜」ではどうでしょう。俳句としてやはり成り立ち、どれが一番良いかという話になってきます。初心者向けのハウツーに、十二音のフレーズに五音の季語を合わせる手法がありますが、フレーズが季語の説明とならないように、また、フレーズがどんな季語をつけてもサマになってしまうものにならないように、気を付けてほしく思います。季語の新しい側面を発見しようと心掛けていただくと、俳句の未来は明るいです。

ただし、「季語の飛ばしすぎ」も不自然にならないよう問題です。もちろん言いたいフレーズが先にあって季語を合わせるというのも立派な句作の方法ですが、「あ、このフレーズが言いたかったんだな」と読み手が思ってしまう場合があります。季語がただの付け足しとなり、季語とそれ以外の部分が割れて、一句に情感が浸透していないように見えるのです。興味深い事実も詩人の心の動きがなければ事実は事実として素通りしてしまうと思います。そして、一句のなかで作者の心を象徴する機能を持つのが季語であるということを、頭の片隅に置いてほしいと思います。任意の季語をつけて「鑑賞者がいいように読んでくれればいいや」という作り急ぎが、短詩型における読者の役割の大きさに甘えた安易な態度に繫がるのを恐れます。詩因に向き合う沈黙の量こそ、自分でも思いもかけない言葉が出る詩作の基礎ではないでしょうか。

◎必要な言葉と省略のバランスを吟味する。

今回の応募作のなかで一番季語がうまく跳ねていると思ったのは優秀賞になった次の作品です。

面接の長所空白あられもち     高橋朱音

「いや、季語が動くのではないか」と思う読者もいるかもしれません。たとえば「落花生」でもいいのではないか、「鶯餅」「桜餅」ではだめなのか。確かにお茶請けにちょうどよい食べ物なら何をあっせんしても成り立つようですが、「あられもち」の止まらない感じが、一つの作者像を結ぶようです。ハウツー的には、人事の内容には天文、時候、地理など、人間を大きく包むような季語であったり、逆にもっと小さな動物の季語をあっせんするとうまくいきやすいと入門書の類に書いてあります。しかしハウツーの範囲で作ってもただ上手な句ができるだけで、この句は定石破りの加減もよかったと思います。

すばらしい着眼でしたが、あと一歩の吟味・推敲でもっとよくなる句です。惜しいと思ったのは「面接の長所空白」という語法。「面接の長所」を文字通り解釈すると「面接試験の良いところ」という意味になってしまいますし、「長所」に対して「空白」というのはこなれない表現に思われます。もちろん善意を働かせれば、「面接試験に必要な事前提出書類」の「長所を書く欄」が「空白」のままであると推測できます。しかし、「長所書く欄は空白」など、いろいろ言い方は考えられます。季語に大いに感心させられながらも、言いたい情報の何を省き、何を残すかという点で更なる進歩を期待し、優秀賞となりました。推敲作業では、直感で得た言葉を一度胸の奥に沈め、単純化を試みるのも大切なステップです。

◎必要性のない破調(字余り字足らず)は避ける。

 この項目について例句はあげないことにいたしますが、言葉のリズムをぎくしゃくさせればポエジーが増すわけではありません。かえってただのコケオドシに見えて損をすることさえあります。内側に燃える感情はどんなに激しくても、表現はなるべく素直に穏当に、嫌味なくすると、多くの人に伝わる作品になると思います。

⑶ 入賞作品短評

 選にあたり、筆者が心がけたポイントは、第一に「ポエジーがあるか」、第二に「俳句として体を為しているか」です。第一のポイントは、どんなに何気ない詩情でもいい、もちろんフィクションでもいい、作者の心の綾を感じられるような作品であってほしいということです。ある水準に達した作品群では表現の巧拙も順位に関わってきますが、ただ上手に言ってやろうという作品より、多少言葉がこなれなくても真面目に突き詰めたものがある作品に先があると思います。難しい言葉や気取った言葉を使っただけでは読者の心は動きません。季語が効いている、いないも、大きく見ればこのポエジーの問題です。

 第二のポイントは、五・七・五を基調としたリズムにおおよそ収まり、句中または句末に一か所の断絶があるという形式、さらに、その詩形を生かしているかという形式・内容の一致を見ています。日本語として無理のない表現を使いこなせているかどうかが、評価の最後の決め手になった作品もありました。

ジュニア俳句大賞

教室に猫背ずらりと冬の昼      新谷桜子

着眼点がよく、完成度の高い作品だと思いました。お日様を目いっぱい受けてノートをとる教室の生徒たち。そして後ろのほうの席から教室全体を俯瞰する作者の立ち位置が浮かんできます。「ずらり」と並ぶ対象が猫背であるという表現の落差が面白く、この句の要となっているようです。授業に対する眠たさを読み込んでも鑑賞の側としては面白いかもしれません。俳句は短いため、「ずらりと」のような大摑みな言葉でいかに様々な情感を引き出すかが一つのポイントになると思います。当たり前のことを当たり前に言いつつ(「教室」に「ずらり」と人がいる)、そこにちょっとした意外性を見つける(みんな「猫背」である)のは、大切にしたい俳句の作り方です。「語順の効果」を意識しながら、今後とも、平明にして広がりのある作品を詠んでいってほしいと思います。

塩竈市観光物産協会賞

人形の足を揃えし聖夜かな      里舘園子

 雰囲気がある作品です。クリスマスイブ、人形の足がきれいに揃って棚に座っている。そこに月の光か外灯かがさしてぼんやりと人形を照らす。そんな情景が浮かびます。選者で意見が割れたのは「揃えし」。作者が人形の足を揃えてやったという意味にとれるので、「人形の足揃いたる」と、人形が自分で足を揃えたような表現の方が良い、という見解もありました。私は、作者が人形の足を揃えたと解釈し、その点にこそ、聖夜に対する作者の関わり方、季語の解釈が現れている、と評価しています。どちらで読んでもよい句だと思います。

宮城県現代俳句協会賞

売れてゐるだけの日記を買ひにけり  篠原圭太

現代らしい「日記買ふ」だと思います。日記を買うのはあれこれこだわりを持って日記帳を選ぶ人ばかりではない。売れ筋だからという以上の理由もなく平積みで売られている日記を選ぶ。やや鑑賞過剰かもしれませんが、社会批評的な眼差しもあるかもしれません。情報や広告のなかに巻き込まれながら消費活動をする自分への客観視もあるのでしょうか。乾いた言い方が一句全体に叙情を生んでいます。「だけ」の一語で心の翳のようなものも出たと思います。

志波彦神社・鹽竈神社賞

ほのぼのと木の色変わる神社かな   熊谷海斗

今年こそ年越しそばを越す前に    我妻花音

それぞれ個性的な句を志波彦神社・鹽竈神社賞にいただきました。第一句、「木の色変わる」は「木の芽立つ」と解釈しています。「ほのぼの」が季節のグラデーションをうまく演出しています。

第二句、「越す前に」の言い方がユニークです。なかなかに省略がきいていると思います。

むじな賞  

白鳥はⅤ字で示す我が道を      庄子莉央

 素直な言い方ですが、白鳥に対して何か心が動いた様子をうまく切り取っています。その凛としたたたずまいをただ美しく詠むのではなく、「Ⅴ字で示す」と力強く白鳥を詠ったところにこの句の良さがあると思います。作者自身の「わが道」も力強くあろうという決意も背後にあるようです。

雪原に赤のヒールの音沈む     洞城美乃里

雪原と赤のコントラストが印象的です。ふわふわした雪にヒールの音は響かないと思いますので、雪に沈んでゆく音は心象的な音と読みました。静かな中にも燃えている詩情を感じ、強く惹かれる一句でした。ただ、一句の素材に十分象徴性があり、「赤の」の「の」は「赤」に含みを持たせすぎるという意見も。「赤き」「赤い」くらいでよいのかもしれません。

彼の星を撃ち落とせよと頼朝忌    天野玖音

 文治五年の奥州征伐で知られる頼朝。口実をつけて藤原氏を討った強引さで、星までも撃ち落とそうという野望をもってもおかしくないでしょう。見事な夜空を見ていると、ふと星を手に摑みたいと思ったりするものですが、昔の英雄に自分を重ねて歴史に思いを馳せたところに、広い時空に詩心を遊ばせるスケールの大きさがあります。中国の伝説に、古代の英雄羿が弓矢で太陽を射落とした話がありますが、羿は妻の嫦娥に裏切られて悲劇的な最期を迎えます。是非成敗も頭を転ずれば空し、歴史ロマンの魅力を湛えながら、単なる歴史趣味とは片付けられない詩心を感じました。今、作者の名前を拝見し、昨年も大きな背景、重層的な時間を感じさせる〈留学の荷物ほどきし夏の夜〉で入賞されたのを思い出しました。ぐっと力の入った句境の進展を嬉しく思っています。

花嫁の化粧は厚し蓬餅        菅原羽美

 餅菓子の季語は多いですが、草餅の香が土俗性を演出しています。結婚式で蓬餅というのは想像しづらいので、花嫁行列を組む風習が残っているような地域で、農作業の合間、土手か何かで蓬餅を頰張りながら、花嫁さんを遠目に俗な話題を楽しんでいる。そんな景色が浮かびます。「土俗的」の評の意味合いです。ただ叙法のうえで、最初に花嫁の顔がクローズアップされます。すると、少し離れて「ああ花嫁行列だ」などと見ている場面にしては、詠み手の位置が不明瞭な印象を与えてしまいます。結果として、リアリティが犠牲になるようです。この句はこの句で十分完成していますが、作者のいる場所や誰が食べているのかという動作がよく見えてくるような工夫があると、当事者性が出て一層よかったかもしれません(もし花嫁自身が化粧直しの合間などに食べている場面なら、「厚し」は切れが強すぎると思います)。

暑すぎて部屋にころがる我の抜け殻  鈴木桃香 

 ユニークな一句としていただきました。まるで幽体離脱して、だらりと寝転んでいる自分を見ているかのような言い回しに作者の機智を感じます。抜け殻といったところで何やら蟬が鳴きこぞっているようなところも想像され、真夏の空気感がむんむんと漂います。ベッドや布団ではなく「部屋」に寝転ぶので、和室、畳か板の間か、とにかくひんやりした感触を求めていると想像されます。「我」に「われ」とルビが振ってありましたが、「我」は「わ」と読ませるとリズムが落ち着きます。

メアリーコリン賞

雪だるま二つ一緒に溶けてゆく    伊藤野花

 何とも言えない切なさがあります。童心にかえったような発見が良いと思います。この淀みのない言い方で今後とも俳句を作ってほしいと思います。

ビルドフルーガス賞

窓ガラスに妖精はいた露の玉    小野寺羽奈

とても詩的な発想です。ガラス窓についた結露を「露の玉」と呼ぶ作例はあまり見ませんが、先入観にとらわれない良さがあります。「妖精」のような道具立ては句が甘くなりがちなので、いつも成功するとは限らないことを注意していただければ、今後一層伸び伸びいろいろなものを自在に表現できるようになることと思います。

俳誌 むじな

東北ゆかりの平成生まれが集まる俳句雑誌です。

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