作句互助会について

 毎年、「句ができない」という声をお聞きします。「気楽に俳句を作りましょう」と言いたいところですが、「作ろうとしても句会に出せるレベルのものができない」と二の足を踏んでしまう気持ちもよくわかります。でも、これまでの経験を踏まえると、そこで句を作らなければ、きっかけを失って長い中断に入ってしまうことがほとんどです。勿論中断したっていいと思います。ただ、自分の句を捨てる力、自選の厳しさがつくということも、句を残せなくなる(作れなくなる)大きな要因の一つです。「スランプ」は実は飛躍の前兆かもしれません。どなたにも俳句を続ける義務などないわけですが、それでも「もったいない」と思ってしまうわけです。


「句ができない」への一番の薬は「自分で締切をつくる」「一緒にやっている人がいる」だと思います。互助会は、そこから「こんなものがあったらいいな」と始めた取り組みです。

ここでは、私なりのスランプ脱出法を書きつつ、互助会についてご紹介します。


俳句から離れてしまっている場合

まず、普段俳句から離れていて、締切が近づくと「作らなきゃ」という思いから自縄自縛に陥っている場合が考えられます。焦りから、詩心が動かない状態になることが筆者もあります。忙しいとき、まず後回しになるのは俳句です。それは当然だし、健全だと思います。しかし後回しにし続けたり、簡単に諦めてしまうと、「作ろうとしてもできない」泥沼にはまります。

そういうときは、逆説的ですが、思い切って作句のことをしばらく忘れる方法もあると思います。別のことに集中して、たとえば鉛筆を削ったり掃除をしたりしているときにふっと心が動いたとき、その瞬間を逃さずに粘るようにすれば、おのずと句は授かるように思います。詠みたくなったときを逃さなければいい、と割り切る。これで私は大分救われています。

それでもなかなか心が動かない、句に纏められないという人は、ちょっとの空いた時間に好きな句集やアンソロジー、歳時記をぱらぱらとめくって俳句を読む、とにかく俳句に触れることが効くかもしれません。先行する作品の力が、ぼんやり詠みたかったものを俳句の形にしてくれる場合もあると思います。


納得いく句ができない場合

意欲はあっても詩嚢が枯渇してしまったように感じる場合もあるようです。主観の強い句を作るタイプの人や、逆にかっちりした堅い句にこだわる方に多いと思います。刺激を得ようとほかの音楽や詩、小説を聞いたり読んでもいまいちピンとこない、ばちっと俳句に結びつく感覚が戻らない、よしんば無理に俳句にしても「俳句としては良くない」と思う十七音になってしまうという場合です。

類型的な表現に陥って出口が見えないと感じても、感性その物の枯渇ではないと思います。そういう場合、基本的ですが「写生」に戻る方法があります。なぜ写生かと言えば、手垢の付いたポエジーのある言葉に飛びついて一句に仕立てることを避けるためです。先入観を捨ててじっくり対象を見ることで、借り物のポエジーではない感性が動くのを待つ、自分の底から湧いた言葉を摑もうという行き方です。写生的な見方を訓練してから、それからまた自分の信じる表現技法に戻るのも手です。まずは一句、もう一度作ることが大事だと思います。

もちろん、「写生しようとしても句にならない」という方もいると思います。机上派の方は特にそう思われるでしょう。そういう方向けの方法ですが、季題をいくつか歳時記から抜き出して心の中に持ち運びながら、その季題とぴったりくる素材をがむしゃらに探して俳句に仕立ててしまう、という手もあります。

何かきっかけを摑んだら逃さない、そういう意識を少し持っていただければ、一年に十句残すくらいのことは、きっと難しくない(難しくても、不可能ではない)はずです。


やはり継続が一番

とはいえ、何と言っても何かしらの「締切」(句会など)を作って継続することが大切だと思います。そのためには季節の巡りを楽しんで、歳時記を折々に眺めるのも気分を高めるのに良いと思います。そして、「恥をかいたっていい」と開き直ってしまうことです。下手な句を見られたって、内内の会ならいいではありませんか。私自身も技術的に言えば下手くそな方だと思います。でも、下手でも真面目な句こそ実を結ぶと思っているので平気です。厚顔とも言うかもしれませんが、それでいいと思います。

句会という(無点の可能性もある)批評の場に出すのがストレスになる、ということもあるかもしれません。

一方、互助会は参加者が毎月自分のペースで俳句を作り、出来た俳句を数句一組の作品としてまとめ上げるための助け合いの場。自分でタスクと締切を設定して参加する、三カ月一区切りの会です。「気軽にできる三カ月ダイエット!」のような軽い調子で参加できるシステムに設計したつもりですので、(むじなに参加資格のある方に限りますが)ぜひ遊びに来ていただければと思います。

作句ペースを摑むために使っていただいても、賞への応募準備や総合誌へ発表する作品の検討に使っていただいても大丈夫です。「むじな」に参加してくださる皆様のなるべく多くの作品を読みたい、世に出したい、と願っています(互助会に出た作品は非公開です)。

平成生まれで、東北ゆかりの方なら、どなたも歓迎です。当ホームページにある連絡先のメールまで、御気軽にご連絡ください。


(記:浅川芳直 「むじな2021」より改題、圧縮のうえ転載)

俳誌 むじな

東北ゆかりの平成生まれが集まる俳句雑誌です。

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